最近思うのだけど、なんつーか、シリアル通信とパケット通信的な、なんつーか。
今日の目次:
日常のコミュニケーション
最近気になっているのだけど。口頭にしろ文章にしろ、如何に言葉巧みに表現したとしても、結局のところ、シリアル通信なんだなと思って。一文字一文字の組み合わせで言葉になって、それを受信して、文脈を紐解いて理解するという。とっても古典的な通信手段でコミュニケーションをとっているなと。この通信手段の速度と伝達可能な情報量と言ったらものすごく僅かなもので、それで世界が成り立っているのかと。個人的にはこれで分かったつもりになっていることのいかに多いことかと思ってしまった。ものすごく取りこぼしていると思うんだよね。
本当の真実は多面体
だからなんつうか。このシリアル通信的な手段でやり取りをする以上、物事と言うのは平面的でしかなく、実際に起こっている物事のある側面しか理解できていないという事になるんだろうなと。事実と言うか現象と言うのは捉え方として多面的であることが想像できるように、ある意味多次元的でもあるのだけれども、この情報が処理できないというか、理解できないというか。
現次元のわれわれわ
つまりこの通信手段がシリアル的な次元にいる間は、逆に言うとその方法でしか通信できない次元に居る我々と言うか、つまりその範囲の理解しかできない次元に居るという事で、次元上昇とかスピリチュアル的にぼんやり広まってるけど、頭の構造と言うか処理構造が変わらないといわゆる次元上昇つうのはないのだろうなというのと、次元上昇という言葉を借りたとして、その上の次元でのコミュニケーション手段と言うのは、文字ではなくて(そういうのはあるかもしれないけど)、いわゆるテレパシーのようなものになるんだろうね。まあそれもテレパシーというのにざっくりぼんやり何もかも詰め込んだ答えでしかないので恐縮だけれども。
高次元の手段とは?
だから、ときどき宇宙人(または未来人)とのコンタクトでは言葉を使わずテレパシーのようなものが送られてきたとか、いっきに多くの情報量が送られてくるのだが、後々紐解いて理解ができるようになる、とか、そういう経験談みたいなの、そういうことなんだろうなと。
平面的な世界ナウ
なんか、「真実が知りたい」という言葉に違和感を覚えるようになって、本当の真実がつかめるまでキャリーオン!*1 *2の違和感がそういう事だったのかと思うようになって、言葉っていうのはほんと、シリアル通信だよなーと思って。だとしたら、ものすごく平面的な世界に居るんだなと思って。
今、時間軸を入れて四次元らしいんだけどさ*3。
頭の中の処理程度の次元は低い?
頭の中の情報処理で言うと、もっと低次元な解釈をしているんじゃないかと。
この次元に居るとしても、せめて、その奥にあるモノ、見えていないもの、その人が持っている物、その場所にあったことなど、「推し量る」ということは感覚的にできるわけだから、その機能はちょっと起動していいんじゃないかなと思ったりとか。まさに、見えないものを見る力ってやつかと思うけど*4。
先日ちょっと気になって書いた「気を使わずに…」の本も、文字になっている以上のものがあるのかもしれないね*5。
思考の自由
この世界に居て学者の職にあるならば、そういうからにはこれを証明せねばならんから容易ではないのだが、そうではないならば、もしかして、と、感じることの証明がなくても、それはそれでその人の中の真実でいいんじゃないだろうか。真理と言うのかもしれないが。自分が感じていればいいんじゃないかと。ほかの人に作用させようとするなら必要なものがあるだろうけど。考えていることは自由だ 今のところ…( ゚Д゚) 。
気付くか気づかないかで脳の開き方は違うと思う。通説としていわれていることに違和感があるなら、そこに真実があるのかもしれない。
とらわれすぎず、違和感を楽しむ、本当の真実がつかめるまで、キャリーオン!
そんなこんなで…
シリアルとパケットとかいうキーワードでWeb検索してみると、PPP(Point-to-Point Protocol)とか、RS-232Cとか出てきて懐かしかった。懐かしいついでにSCSIのターミネータのことを銀歯と呼んでたのを思い出した。検索してみたけど、銀歯みたいなの出てこなかった( ´∀` )。
㋬㋽―
そういうところから離れて久しいので個人的へーを貼ってるだけの項。