今回は、先日ちょっとものすごい剣幕でしゃべり続ける人の相手をしないといけなくて電話切ろうかと思ったことがあったんだけど、これぞまさに脳がジャグリング状態というやつかー!というとってもわかりやすい実例だなとふと気づいて、自分自身も顧みた件について。
脳がジャグリング状態というのは、岡田斗司夫氏の動画(下記)を参照して使用させていただいています。ご参照ください。
今日の目次:
話を整理しよう
まずは、話を整理しよう。自分がやるべきこと、確認すべきことはやったのか?まずはここを確認してから他人に投げよう。そのすべてを蔑ろにして自分の言う通りにせよ!ってただの駄々っ子じゃないか。自分はこのままに、目の前の鬱陶しいものをどうにかしてーっ!と人に解決させようとする事象のなんと多いことでせう。一体なにが、脳をジャグリングさせるのか?!
「面倒くさい」という悪癖
多くの場合、「面倒くさい」という処理放棄の悪癖が脳内ジャグリングを起動し、芋づる的に要素を増やしていくんじゃなかろうか。面倒くさい連鎖、面倒くさいルーチン。ここにはまると抜け出せないループ。要素を増やしながら巨大化していく…。壮大な宇宙になる…。
方やこの「面倒くさい」でシャットダウンが起動するタイプの人は、ジャグリングしないんだろうね、多分。それはそれでお付き合いが難しかったりもするが…。今回は「面倒くさい」で処理放棄ルーチン芋づるジャグリングループにはまった方のお話。
今回の例
今回の電話相手は、問題解決のために自分が払う労苦を避けるためにジャグリングにはまっている状態だった。電話の内容は、自分が用意した答えにたどり着くことだけを目的としているため、こちらの話には聴く耳を持たない。そして、驚くことに、ジャグリングの各要素について何一つ調査も確認もしていないのだった。
答えは簡単(今回の場合)
「今のあなたの状況を正確に確認してください。」
こう言うと、機関銃が止まった。問題の発端となる自分自身の状況も、今現在、不確定要素のジャグリング状態で答えだけを求めているということにも、本人が気づいていなかった。思うに、あちらが面倒だと思っていたのは、自分の状態を確認するという事だったのではないかと( ゚Д゚)。
脳のジャグリング状態に気付くために
自分の頭の中にある情報だけで思考を巡らせるとジャグリング状態になるという一つの例に出くわした感。これって、思考を巡らせているだけで、情報を処理しているわけじゃないんだよね。
それと、頭のいい人なのに、自分の状態に気付いていないのに驚いた。一つ一つを確認しながら、落ち着いて返答すると、次第に相手の冷静さが戻ってきた。
きっかけを作っているものに気づく
この脳のジャグリング状態に気付けば、もう少し、自分自身も生きやすくなるかもしれない。結局は、何が引き金になっているか?何かに固執してないか?これじゃないか。
自分はどこにひっかかっているのだろう?
大切なものや、これまでの人生経験などによって、きっかけは様々だろうけど、きっかけが同時多発的には起こらないんだよね、多分。
感情を動員させない
いきなりの剣幕に、σ(゚∀゚ )オレも(# ゚Д゚)ってなりかけたのだが、ふと冷静に、σ(゚∀゚ )オレもこの人と同じように何かに引っかかっていないか考えてみた。
結局のところ、きっかけとなるのは「言葉」なんじゃないか?そこを少したどってみると、自分が固執している概念に気づいた。今回の相手の場合は問題が解決しない場合、少額だが「出費」が発生するということもあったので、それが冷静さを失わせるきっかけになったのかもしれない。
そもそも暴走するのは感情が入ってくるからで、まずは君が落ち着け、と、これを自分にやらないといけないな、と、改めて思った次第。
まずは君が落ち着け#シンゴジラ
— 松尾 諭 (@matsuo_satoru) 2018年12月16日
異物を排除したい作用
感情暴走のきっかけが「言葉」の場合を考えてみた。その言葉の使い方が気に入らない、自分の思考とマッチしない、となると、感情にスイッチが入って攻撃的になったりする。
なんだか、体内の免疫作用ににてるなー。と。
自分に入ってきた異物(この場合は言葉)を排除するために攻撃(この場合は口撃)が始まる。病原体・ウイルス侵入時の免疫作用みたいじゃない?…(;'∀')。この場合の処方箋は、まずは自分σ(゚∀゚ )が落ち着け…。
言葉の捉え方は人それぞれ、面倒くさいを無視しない
というわけで、言葉の捉え方は人それぞれ。なにか食い違った…と言うときに、「言葉」に引っかかっていやしないか?と、振り返ってみるのもいいのではないだろうか?と、思った次第。
それと、自分が「面倒くさい」と思っていることは何か?に気づくことかな。これ結構難しい。自分が正しいバイアスあるし…。σ(゚∀゚ )
反省と気づき
久しぶりに嫌だなーと思う出来事だったけど、気づきがあってよかった。実際、この時のことを振り返ると、自分は相手を「面倒くさい」と、思ってしまったために感情が動員されてしまったのもあると思う(;'∀')。それに、妥当な策とこちらが認識していたとしても、こういう解釈をされる場合があるという事は、こちらにも改善の余地はあったわけで、つまり、そこには「曖昧」があったわけだ。おかげさまでそこは改善できたので、かかわる人にとってメリットの多い出来事でもあった。
嫌なことは成長の糧
きっと自分の成長のために嫌なことがあるんだ、うんうん。嫌だと思うのは自分の未熟さなんだ、きっと。ありがとう。自分も振り返らねば。これを考えながら、頭の柔軟さって必要だと思った次第。そして、そこから「一般社会のセカンドキャリアとしての老後」っていうのも考えてしまったよ。それについては次回(以降…)。
タイトルにちなんでこちら。
ひろこ好きだったぜー♥