宇宙船(UFO)って、大きいものなんだと思っていた。
今日の目次;
おっきな宇宙船がやってきましてね
と、お話をされる方もいらっしゃるのだけど、大きさと言うのは、この今の我々の次元感覚で「おおきい=すごい!」っていうことなんじゃないかと思ったりすると、つまり➡過去のポスト*1の「UFOって撮れるのか?」と、同じ理屈になる訳なのだけど。そうすると、大きな宇宙船が現れたとして、複数名目撃したとして、そこでは、おおきいほうがインパクトあるだろうというあちら側の計らいなわけかもしれないことにもなる。
映画などででっかい母船を見せられているので、宇宙船ってでかい!!と、思っているのだが、物理的に存在しているわけではないそれらの大きさと言う概念は、今我々が思う物とは違うんじゃないだろうか。
サリーナの宇宙船
そういうわけで、MIB2は大分前の映画になっちまったけど、いつ見ても面白い。このサリーナの宇宙船が小さいことに関して、どれくらいの人がどういう印象を持っただろうか。それほど重要にも思わなかったかもしれない。σ(゚∀゚ )オレも、何度か観たのちに、これはなんとも示唆的な、と、思ったような記憶。
小学生の創作物語
最近、子供に将来なりたいものとか将来の夢を聴くのは如何なものか、という議論をときどき聞くことがあるんだけど、σ(゚∀゚ )オレも、子供の頃、これに困っていた。本当は、作家とか画家とかになってみたかった。でも、早いうちに、頭がネーナ、とか、絵が下手だな、と、気づいてしまった。それで、どちらも早いうちに諦めたのだけど、そうすると、夢なんて思いつかない。テレビをつけて歌手にでも…とも思ったが歌も下手だし、ダメだこりゃ。仕方ないので当たり障りのないパン屋さんとか書いた気がする。食べるのは好きだけど。
片田舎の山奥に住んでいて将来の職業なんてどうやって思い浮かべるんだべな。と、思う次第。
それでも、少しだけ、物語を書いてみたりしたいなと思った小2か3の頃(多分)に母の手帳に書いた超短編未完成小説がある…。それは…
ちびっこスーパーマン
小さいスーパーマンが小学生の家にやってくるという、ドラえもん的設定要素のある物語だった。詳細は忘れてしまったが、ある日突然ちいさなスーパーマンが小学生の家にやってくる。小学生(男子の設定だったと思う)は、ちびっこスーパーマンのために植木鉢に庭と家を作ってあげる。ちびっこスーパーマンはその植木鉢に住むことになった。
そして、小学生とちびっこスーパーマンの生活がはじまるのだが、ちびっこスーパーマンは、小学生にいろいろ教えてあげるわけ。助けてあげるというか。そういう話。
なんせ母親のメモ帳だったので、何ページかで終わってたんだと思うんだけど。
ベストセラーになった小さな宇宙人Σ(・ω・ノ)ノ!
それから数十年とは言わないが、十数年以上たって、世界的ベストセラーとなった本が出た。それが…〇〇、ちいさな宇宙人という作品。ご存じの方も多いと思う。この本が出たときにσ(゚∀゚ )オレは大人だった。小さな宇宙人の設定はσ(゚∀゚ )オレは小学生の時に書いたぜー!と、勝手にタメを貼って読んだことはなかった。
それが、時々見ることがあるTOLAND VLOGで紹介されてたので今年に入って視聴して、その内容を見た次第。ベストセラーと小学生の戯言をいっしょにするなんざ、ファンのみなさまに袋叩きにされてしまいそうなのでごめんなさいとさきにあやまっておくけれども、内容も、ドラえもん的設定要素の、色々教えてあげて助けてあげる系じゃない!
普遍的にあるものなのかもしれない
つまり、おおきさと言う概念について言えば、σ(゚∀゚ )オレの創作劇と設定は似ていた。物語の設定要素としてはドラえもんと似ている。未来や宇宙といった文明の進んだ世界から地球の子供たちをサポートしにやってくる存在についての物語。
ずっとこればっかりだけど、最近読んでいる緑の本シリーズも、つまりこういうことが書かれている。サポートしにやってきていると。物質的にちいさい存在としてではないけど。
だからまあ、きっと、地球の上空にあるという、そこにアクセスするのか、そこにある情報っていうのは降りてくるんでしょう、きっと。
だからときどき、やたらと同じキーワードが入ってきたリ、「!」と、思ったことが大流行したり、時間差はあるけど。するんだろうね。
σ(゚∀゚ )オレの経験だと2乗するとか、頭文字で表記するとか、やってたもんね、そうなるずっと前やちょっと前に。いばるんじゃなくて、よ。だからそれは、あるってことよ。