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浅はかな妄想探訪記

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ちょっと切ない夢枠

子供の頃によく見ていた夢、後2つあるって前のに自分で書いてて、2つってなんだっけ?って思ってたんだけど、そのうち一つはこれだった。夏が来ると、終戦を思う。

昨秋、下書きにしていたものです。

今日の目次

祖父は戦没者

祖父が戦没者だったため、戦争というものについて、小さいころから色々と思うことがあったのだが…。

仏間に飾ってある祖父の写真がすこぶるイケメンなのに、家族のだれもイケメンでしょ?と言わないので、イケメンなのになー(当時そういう言葉はないけど)、なぜ誰もそういわないのか?と、子供心に不思議に思っていた。

σ(゚∀゚ )オレの中のナンバーワンイケメン

家族のだれもじーちゃんはイケメンだと言わないので、ある日、家の誰か(母かな?)にそんなことを聞いてみると、軍服だからかっこよく見えるのよなんて言われたので(←母だな)、そうなのかな…と、モヤモヤしながらもそこに落ち着くことにした。少し大きくなってから、地域の公民館に地域の戦没者を収録した冊子が置いてあるのを見つけた。多くの方の写真が並ぶページを開くと、その中でも祖父はひときわイケメン際立っていた。おおお、やっぱりイケメンじゃないか!仏間の一人だけ見るからイケメンなわけでなくて、軍服だからイケメンなのでもなくて、間違えなくイケメンだ!と、再認識したのだった。ここ近年の豪雨災害で被害にあったから、もう、今は見られないだろうな。

思いを寄せても現れない祖父

アニメなどでは、死んだじいちゃんが空にポワンと浮かんで話しかけてくるなんてシーンがあったりするのだが、子供のσ(゚∀゚ )オレがこんなに思いを寄せているのに、うちの祖父は一向に出てきてくれなかった。空に向かってじーちゃーんと言っていたら雲にでもなって表れないかな?とか、いろいろ試してみたが、一向に現れない。

なんででてこないんだー---!!!

と、(# ゚Д゚)っていたのを覚えている(笑)。子供だな(笑)。

沖縄に行ったよ。

祖父は沖縄で亡くなったので、自分がまだ小さいころ、祖父の慰霊を兼ねて沖縄に家族旅行に行った。今ほど飛行機の便も多くなかったので乗り継いでいった。昭和の時代。場所は覚えていないのだが、どこか公園のようなところに行ったとき、上空に戦闘機がバンバン飛んでいて、すごい音だったのを覚えている。土産屋さんには戦時中の写真集などが目につくところにたくさん置いてあった。

旅行の全日程を同じタクシーの運転手さんが担当してくれた。観光地をくまなく回ってくれた。子供だったので自分は覚えていないが、運転手さんが戦争や終戦時のこと、その後のことなどをいろいろ話をしてくれたそうだ。今になって、その時 聞いた話を父がしてくれる。いまよりも、もっと生々しい地域の人の証言。

そんな子供がよく見た夢

当時まくらがそば殻だったというのもあるかもしれないのだが、寝ていると、ざっざっざという音がして、家の前の当時はまだ舗装されていない砂利の道路を、兵隊さんがズックで行進してくるという夢をよく見た。不思議と兵隊さんの足元のほうの映像だけだった。ざっざっざっと行進が続く。そのうち目が覚める。みたいな…。

そんな話を最近になって父に話すと…

そんな夢をよく見ていたのだが、話すほどの内容でもなかったので、この年まで誰かに話したことはなかった。最近、若いころは折り合いの悪かった父との仲もすっかりよくなり、昔話をよくするので、そういえば、子供の頃こんな夢を見てたんだよ、と言って夢の話をした。すると「!」と真剣な顔をして、どんな夢だったんだ?と、聴いてきたΣ(・ω・ノ)ノ!えええ、なんでそんなに驚くのかと尋ねると、その当時、家の前で自分が見ていたようなズックで砂利道を歩く音がするたびに、祖母(父の母)が「帰って来たんじゃないか!?」といって、外を見に行っていたのだとか。

きっと、訃報があったあとも、ずっとそうして待っていたんじゃないのかな。遺品がわずかに送られてきただけだと聞いている。なんだか、この話を聞いて切なくなってしまった。ばーちゃんは、待っていたんだなぁ。。きっと残された家族みんなだ。

自分も小さい頃は、ひょっこりどこかで生きていて帰ってこないかと思っていたものだ。

昔の人は我慢強い…

終戦間際の召集で、ほとんど死にに行ったようなものだった、と、父が言っていた。派遣されたのが沖縄だから、近くてよかった、と言っていたらしいが、激戦区になるとは…。同じ年に、父は幼い弟二人を怪我と病気で亡くしている。祖母も大変だったと思う。そんな苦労は自分に一言も話したことはない。

じーちゃんは呼んでも出てきてくれないと思っていたけど、あの足音は、じーちゃんだったのかもしれないなー。地域のみんなで帰ってきていたのだろうか。

目の前の家の人はシベリア抑留者だったそうだ。亡くなった後に聞いたので、お元気なうちにいろいろ聞いてみたかった。話したくないかもしれないけど。都心部の大企業を退職後に移住してきた人は満州生まれだったが、帰国では大変な思いをしたらしい。その時のことは話したくないと言っていた。少し前に亡くなった親戚のおじいちゃんも、亡くなる前は、戦地のことばかりうわごとのように話していた。上官に言われてしたことをずっと悔やんでいたようだ。

いろいろな時代を経て今がある。夏が来ると、なんとなく、切ない気持ちになる。

今年は、もう秋になっちゃったけど。