ヒトリノ夜、この歌の歌詞とても好きでというか、興味深くて。車もしばらく空を走る予定もなさそうだとか*1。携帯電話なんでしょ、って、今それがスマホなだけで、世界観はバッチリ現在にもはまってる。
今日の目次;
何よりも、一番心に響いて消えないのは、
「恋セヨ」と責める
ほんと、嫌だった。ヒトリでよかった。合わない人となぜ対にならないといけないのか?だけど、ヒトリでいることがヨシとされない時代の中でヒトリでいるのは辛かった。そんなこと、がグダグダ続く、以下;
資本増殖システムの中で
Youtubeの宮台真司さんがゲスト出演されている動画でちょっと若めの司会者(多分その人のCH)が、宮台さんに色々問い詰めていた。なんだか、この世の中の経済システム的なことについて。搾取する側される側について。そこには、恋愛感情に似た起伏が利用されているのではないかと。宮台さんはマルクスの理論を引き合いに説明していた。資本は自己増殖システム、資本が資本を増殖していく、その中で人は何かというと、そのためのツールだと。資本の増殖に役立たない奴は切り捨てられすげ替えられるだけだと。
ふむふむそうね。資本を擬人化するとこういう説明になるのかー、面白いね❣️
時代が作る人々の嗜好
oléも最近このヒトリノ夜の歌詞みたいな忘れられない言葉と重ねてそのように思う。今の経済システムは、人々に「堕落せよ」と言っている。堕落して、浪費して、搾取されろと。その真っ只中にいて姿形の見えない時代というものが何を作って人々を翻弄しているのか。若い頃それに気付かず、まんまと時代に飲み込まれて流されて、その中で失ってきたものは大きい。恋せよと、恋愛に人を向かせるのは容易い。今の時代は恋愛の先に結婚がある。まずこれを成就させないと結婚にいかない。かといって、恋愛結婚は容易に破綻する。今の離婚率はそういうことも色濃く反映しているんじゃないだろうか。
若い世代
身内の若い子が結婚とか言い出してる。もうしちゃってる方が多いけど。oléは子なしだが、olé以外はみな普通に家庭を営んでいるから子孫が続々できている。できた子が育ちまた結婚しては子供ができる。最近は、結婚するとなるとものすごく高価な「家」が結婚式とセットのようだ。もちろんそれぞれ業者(企業)は別だけど同じ市場にいる。宝くじでも当たらねばならん金額のものを当たり前に売るらしい。そして、買うらしい。今の計算で、今の見通しで、ソフト(心)もハード(物)も壊れないことが前提で。みんなそうしているという同調意識で、いいことばかりの売り文句を鵜呑みにして。
仕事だからね
まあ、売っている人だっって悪いと思ってしているわけではないと思う。仕事だから。今、考えて最善の提案だから。だけど、売る人は余計なことを言わない。自分の責任範疇を越えることは言わない。例えば、税金のことは言わない。耐用年数のことは言わない。家を構成する要素のそれぞれはそれぞれのメーカーが作っていて耐用年数やスペックはメーカー任せ。それらの細かいものの組み合わせでできたものが環境とか予測不能な条件下でいつまでどのくらい持って保守保全にどれくらいの費用がかかるかなんてその時にならないとわからない。それより何より、以外と盲点なのは隣人かもしれない。隣の人は選べない。まあ、タイミングは逃すと2度と巡ってこないから悪いことばかり言うこともない。上手くいく人はうまくいく。それも人生といえばそれまでか。
自分の若い頃を思い返す
知らず知らずのうちに時代に飲み込まれて流されて、気がついてみりゃこの有様。時代は流れて去っていく。例えば、以前はテレビ、芸能人や著名人の行動や言動といった動向だったりした。これでいいんだ、そう思わせる何かセンセーショナルな話題。判断つかない人たちがそれぞれに巻き込まれて標準を変えていく。
こういうのは、歳を重ねるしかないのだろうか。もう少し早く世の中の仕組みや人の習性、そんなことに興味を持っていれば防げたのだろうか。もっと違う人生が歩めたのだろうか?もし今自分に子供がいたら、どういって育てたんだろうか。所詮無理なことなんだろうか。
ワレワレハ支配されるツール
まあいいんだけど。そうやって、我々は最も簡単に「何か」に支配され、流されている。今この判断がいいのかどうかもわからずに。恋せよと言われることも、恋人の話をしないといけないのも、嫌だった。社会的にヒトリっていうのもな、というので誰かと付き合っているふうな関係性を作らねばと、なんだか違う方向にばかり行っていた。うまくいかなかった。
つきあうという曖昧な契約の本性は体の束縛
そもそも恋愛というのは、お互いの気持ちを確かめ合うだけの関係性で何の契約もないはずなのに、暗黙の了解で体の関係は縛られる。結局つきあうとは、体関係の契約のように思えて仕方なかった。oléは性には奔放ではない。だが、相手ができると自分の体を開け渡さないとならない。それは、いつも腑に落ちなかった。付き合うというだけでなぜこうしなくちゃいけないのだろうかと。付き合うってなんなんだと.
恋愛の定義不足を逆手に取ったシステム維持のための手段
本当は、そんなこと(やるのかやらないのか)なんじゃないだろうか。それが言えないから、付き合うとか、続いていく関係性のように思わせて、飽きて、拗れる。ヤッタからには責任とれとか。そういう。浮気だとか言うけど、そのとき好きって確かめ合っただけなのに。なんなんだこの束縛?恋愛というものの認識ががふわふわと曖昧すぎる。その割に、束縛が強烈。定義不足なのでは?恋愛って。
・・・などと、恋愛の話になってしまった。oléは実はずっと不満だった。付き合ってとは、そういう契約にしか思えなかった。
恋せよと責められるのはもういい。車はまだ空を飛ばない。恋愛感覚の普及は資本の自己増殖システム維持のための手段。
流されんなよ〜。*2