思っていたことをなどを殴り書いて投稿するシリーズ。ちょっと前に思っていたことを書いておく回。
今日の目次;
人生の9割は妄想劇場
早いもので1年前から通っているところにお気に入りがいる。お気に入りが居るからと言ってどうなりたいわけでもないが、行っていると嬉しい、今日は居るかな?いないかな?なんつて行くのが楽しい。
中身は何もないのだが、楽しい妄想を展開する。こういうことってよくあると思う。あの人が居ると嬉しい、なんとなく探しちゃう。
妄想哀愁デイト
哀愁は104ちゃんに借りただけで意味はないのだけど、そんなことで、そのお気に入りとの妄想デイトなるものを思い描いてみた。内容がないので全く記憶に残っていないのだけど、σ(゚∀゚ )オレの状況と、あちらの状況(知らないけど)、どういうことでデイトになるのか、いやらしい考えではなく、うきうきしてみたりした。
妄想劇場作家
相手のことは、外見以外知らない。まあ、それに付属する声は知っている。それ以外知らない。雰囲気とか、指輪とかそんなので、そうなのかーと思ったりする。スタッフとの会話の中にそうなのかーというのを見つけたりする。そういったほんの少しの情報をもとに、自分の中でキャラクターを作り上げる。知らない部分は、全部σ(゚∀゚ )オレの考えというわけ。
そんな中で思ったこと
そしてふと我に返る。しかしだ。本当に、目の前の至近距離に相手の顔を思い浮かべると、マテヨ、と、思う。そこまでではない。ふと想像する、肌の質感とか人の持つ匂いとか。年齢を感じたいわけではない。臭いをかぎたいわけでもない。そういうわけではない。自分の中の妄想仕立ての君をほんの少し気に入っているだけなんだ。
すべてσ(゚∀゚ )オレの頭の中の補完で出来上がった君を。
(勝手に素材にしてごめん_(_^_)_)
で、なんとなく、そうだ、人間だったんだ、と。
そこからまた思ったこと
映画「インセプション」で夢の中で何段階も落ちていくように、妄想からの展開でもう一段階。お気に入りとは何かと。お気に入りって、自然とできてしまう。特にどうなりたいわけでもないのに。好きともいえない、気に入っているというのもおかしい。どうしようもないし、足しげくそこに通うしかできないのだけど、居心地がいいのでしょう。
それってさ、緑の本に書いてあったような、ピーコさん(略させていただきました)的な、自分たちを構成している見えない意思と意識体というかそういうピーコさん同志は頭を介さないで会話してるんじゃないかと。会話ってか、コミュニケーション。交信といってもいい。
それでなんだったっけ?
だとしたら。どこに落ち着こうとしていたのか、もうすっかり忘れてしまった。結局のところ、今の3次元では、物体が時間軸に載せられて、物体を通してしか世界を認識できない頭でこの社会が出来上がっている。だから、見た目が大事だったりするわけだが、この見た目を超越した世界になれば、見た目はどうでもいいわけで、まじピーコさん同志が交信できればそれでいいはずなのに、この次元は、すっごい物っていうのにとらわれてるよねと。本当は、外見がどうであれ、ピーコさん同志が対話できればいいんだよ。交信ってあえてつかってるのは、アンドロメダの事象をひきずっているから。
なんて思っていたらVRおじさん
なーんて思っていたら、VRおじさんの初恋っていうのをNHKでやってた。家人が面白いね、なんて、こういうのどうよ、なんて言ってたけど、σ(゚∀゚ )オレつい先日考えていたんだ。見た目ではない中身で対話できるのが、本来じゃないのかと。
ムーンショットとかアバターこわいとかいうオカルトワイワイもあるけど、そういう意味で言えば、怖いというのとは違うんだよね。どうやってアバターすんねん、って思ってたけど、たとえば、こういうVRと言われれば、この時間軸に載せられた物体に入っている我々でもそれを抜け出した交信ができるようになるってことの理解がしやすい。
そういうプロパガンダどらまなんでしょうか?
ま、それもよし。
流れるように流されるのだよ。だって、人生は経験なんだから。
俺はプロパガンダ―♪(σ(゚∀゚ )オレじゃないよ)
うたおう!
近々、記事を有料にしようと思っています(笑)