オカルト波ℙ

浅はかな妄想探訪記

      浅はかな妄想探訪記

きのせいか

ちょっと旅に出ていたのだけど。ある山の中で、ふと優しい気配を感じる場所があった。気配と言うかなんというか。語りかけてくる言葉みたいな暖かい感じ。それで、こういうのって、特に何か現象や結果や実証できる何かがあるわけではないので、あまり話すこともなかったのだけど、2020のアンドロメダの時に、今まで感じていたものは、気のせいばかりでもなかったのか…、と言うのを自分の中で実証できたので、覚えているうちに書いておこうと思うー。覚えているだけ。10年以内のモノ。

今日の目次

その山

その山には、今は失くなっているが昔は祠があったらしい。地域の人がどなたかのご神託(?)でそこに祠を立てるように言われたらしく、祀ってあったのだとか。綺麗にしてあって、そこの住人も遊びに来ていたそうだ。地域の神社として地域の人がお世話をする祠ではなかったので、今はもうなくなってしまっている。でも、この地域の歴史を調べていた大学が一度調査に来たことがあるそうだ。なので、何かしらの文献にはこの場所についても書かれていることがあるのかもしれない。今となっては地域の人でも知る人は少ないと思うが…。そういう、神様と何かご縁がある場所であったらしいことが伺えるエピソードがある場所にて。

あおがえる

川や田んぼにアマガエルがいるけど、森にもアオガエルっていう綺麗な緑色をしたアマガエルよりちょっと大きめのカエルがいる。小さい頃は見たことなかったのだが、大人になってその山で出会った。昔はたくさんいたのだとか。雨が降ると森の中でゲコゲコ声が聞こえたものだとか。山が農地に開墾され、農薬散布も行われるようになって数を減らしていったのではないか、と、その山の住人は言っていた。近年、後継者不足で農地は山にかえり、少し自然が戻ってきたのかもしれない。

そのカエルはどういうわけだか、今しがた自分が収穫した籠の中の果実にのっていた。それで、そのカエルの話をしていると、σ(゚∀゚ )オレの顔をじっとみて、なぜか、ほっぺたに飛びついてきた。

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい。。。

嫌いではないけれども、顔に飛びつくこともなかろうよ…。愛しいやらなんやら…( ´∀` )

へびとんぼ

ある日、その辺の農地でそこの住人が農薬散布をしていた。今は作物を減らした分、散布も最低限にしているが、時期になれば数回の散布は行う。そんな様子を見ていると、果実の木の茂みから慌てた様子で初めて見る昆虫がじたばたと出てきた。じたばたと言うか、羽ばたいているのだが、じたばたしてる感じ( ´∀` )。そんなにスマートな容姿をしてる昆虫でもないのでじたばたに見えた。

農薬散布から退避ー!と、全力でサポートした。

後で調べてみると、初めて見たその昆虫は、へびとんぼ という昆虫だった。子供の頃はそのあたりによく遊びに来ていたのに、一度も見たことがなかった。ここ10年くらい、こんな大人になってから名前を知った昆虫は多い。

とある山にて

また、そことは別のある山深い里に観光で出かけていた時の事。その辺は、妖怪伝説も多く残っているところ。

どんぐりファランクス( ´∀` )

妖怪をテーマに観光誘致もしているその里山に車を停めていると、ふっと風が吹いたかと思うと、山の方から大量のどんぐりがどばばばばばばばーと、車に降りかかってきた。これは、妖怪に投げられたか( ´∀` )?!。なんて思った。

そんなことがあって思ったこと

そんなことがあって、アオガエルとか、ヘビトンボは、その山に住む精霊というかなんというか、目に見えないものの化身だったんじゃないかと、言葉にすると、おめーうさんくせーな、って感じなんだけど。まあ、こんな風になんとなく感じていたわけ。どんぐりが大量に車に降ってきたときも、悪い気はしなくて、あ、山からコンタクトがあった!と、ちょっと嬉しかった。

それからこんなことも

そういう彼是があった後、ご縁があってとある施設にお手伝い行っていた時の事なんだけど。その施設の近くには神社があって、そこのお話。

あと個人的なことで言うと、神社にはその土地の神様がおいでなのだから、ご挨拶はしておきたいなと、付近を通りがかるときは、心の中でおじゃまします、と、言う気持ちを持つように心がけている。。。(以降心の中ペコリと表記)

アマガエルが降ってきた!

その神社に足を運んだのは1度だけなのだけど、行き帰りには、心の中ペコリをしていた。そして、ある日、暗くなってから帰っていると、なぜか、その神社の下で車のフロントガラスにアマガエルが降ってきた!

あ!

嬉しかった。前にアオガエルが顔に飛びついてきたときのような、どんぐりの時に感じたような、気にかけていますよ、という感じのコンタクトを受け取った気がした。

色々な形で現れるコンタクト

まあなんというか。こういう感じで、そのものとしての実体がない存在は、目に見える形で表れてくれたりわかりやすく接触してきてくれることもあるのだと思う、というエピソードなわけなのだけど、まだ続きます。

形から言葉へ

話は戻って、また別の日。いろいろあって、その施設のお手伝いを1か月ほど休んでいた。久しぶりにそこへ出かけたとき、アマガエルが降ってきた神社の下を通りがかると「おひさしぶり!」という声が聞こえた。声と言っても、実際に音はないのだけど、メッセージと言うより、本当に呼びかけてもらったみたいなインパクトがあって、とてもうれしかった。すぐに上の神社からだとわかったので、気にかけていてもらったんだ!と、すごくうれしかった。

そのころから、気のせいじゃないんだな…と、少し思うようになったのだけど。それから何年かして、アンドロメダ*1があったことから、確信に変わったというわけです。

やさしい気配

そんなこんなで、山、というか、里山的な、人と自然が一緒に暮らしているような雰囲気が自分はとても好きで。地域に大切にされている神社やお地蔵さんが見えない世界や自然の営みと人々の生活をつないでいるように感じてなんか嬉しい。大切にされている神社や祠は人々が寄り添うし、子供たちの遊び場になったり、なにもないのに楽しい雰囲気があるように思う。

里山サイクリング大会で

ある時、里山サイクリングでそのような場所を通りがかった。コースは終盤で、坂道が続いてだいぶ疲れてきたぞ…というときに、何体か並ぶお地蔵さんと、神社が見えてきた。心の中ペコリをしたと思う。それと、お地蔵さんがなんだかうれしそうだったので、自分も嬉しく思っていると、背後から優しい風が吹いて子供たちが楽しく遊んでいるようなワイワイとした声援のような雰囲気と一緒に、そのみんなが背中を押してアシストしてくれたような気がした。

しんどかったけど、なんだか楽しくなって、その前を通り過ぎるほんのひと時の間、みんなでわーい♪と楽しく一体になれた気がした。今思い出しても楽しい気持ちになるので、きっと優しい場所なのだと思う♪

つい先日の、旅先の森で

先日も、とある山というか森で、そういう優しい呼びかけのようなものを感じることができた。そこに行って何か特別な場所だという目印はないし、その気配を感じた紅葉した樹木の小枝に特別な見た目の特色は何もない。なのになんだろう、とてもやさしい声を聴いているような気がした。

帰りもそこを通りがかった。木々の生い茂る山の中でその場所に特別な目印はなかったのだが、そこを通り過ぎるとき、行きと同じ気配がしたので、やっぱり、ここだ!間違いない!と、嬉しくなった。さようなら、と、手の届く小枝に手をかざして下山した。

おわりに

通じる、と言うのは、なぜか嬉しいもので。感じるということは、素晴らしいことなのではないかな?と。それが何か特別な意味がないことでも。意味なんていらないんじゃないかな、なんて、思いながら、身近な自然と心を通わそうとしている今日この頃です。人としての成長もしないと、な、σ(゚∀゚ )オレだけど。

 

気のせい

気のせい

  • シンガロンパレード
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

お!アイキャッチに何か貼ろうと、titleにちなんだ検索をしたのだけど、なかなか好きですぞ。アルバムにはUFOってのも!

オフィシャルサイト☟(勝手に宣伝)

singalongparade.com