オカルト波ℙ

浅はかな妄想探訪記

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教育ってなんだ?(答えなし)

以前に何度か貼付したのだけど、図書館に初めて行って手に取った本👇

これがすごく面白かった。内容については、下記リンクの「道徳教育への違和感(横道ソレル)」の項をご参照ください👇

2o65o.hateblo.jpという前振りからの、
今日の目次

ゲームは子供にどう影響するか?

この本:不謹慎お母さん…を引き合いに出したのは、このなかに、ゲームは子供に悪影響を与えるか?という事に何度か触れていたから。このテーマは深いので掘り下げきれないけど、ゲームがいいかどうかというのは、それにばかり時間をとられるという問題や、攻撃性を高めるとか、残虐性を容認させてしまうというような心配ももあったりするのかと思う。

で、昔はどうだったか、と言うのが今日の本題。(本題までがいつも長い)

昔の教育

…なんていう壮大なテーマではないのだが。先日、最近いろいろな話を聞いているじーちゃんと、かつて地域にあったという処刑場の話になった。全国的に、そういう場所には、今でも何か出る…👻 みたいな怪談はつきものだけど、その地域のその場所については、そういった類の話は聞かない*1。それよりも、その辺は発光物体(UFO的なの)が出るんだが。。目撃者が少ないので話題にはなってない(;'∀')。。。

で、今の時代になると、処刑を見たことがあるという話を聞いたことがある人はとても少ないと思う。自分も今までなかったのだが、じーちゃんが、ふと、そういえば…と、話し出した。

それは江戸時代か?

じーちゃんの小さいころに近所のお年寄りに聞いた話らしいのだが、そのお年寄りは、小さいころに処刑を親と見に行ったのだそうだ。連れて行かれたのか、連れて行ってもらったのか、表現の仕方でだいぶ違うが、この場合、どちらかはわからない。聞いたのは、ただそれだけで、どういうものだったかとか、何を思ったかという内容は全くないのだが、これ、結構、生々しいナ…と、思った。そういう話があったらしいよ~と、言うのと、リアル見た人の話を聞いたのとでは全く受け取る感覚が違う。

まじであったのか…。という感じ。昭和の時代劇では時々あったけど、最近は、そういうシーンをほとんど見ない気がする。

教育上いかがなものかという話と時代背景

それで思ったのが、当時は、見世物にする、という、今の社会感覚ではありえないことをしていたわけで、それを親が子供に見せるというのは、ある種の教育で、悪いことをするとこうなるよ、という教えだったのだろう。。。

そう思うと、今この時代に同じようなことはできないわけで、ゲームが悪いというレベルを超えた…、いや次元の違う?ものがあるなと思った次第。リアルを見せるという衝撃体験は子供の成長に何を与えるのか?(=わからない…

教えの要素を含むか否か

今の社会では考えられないにしても、過去のそれには「教え」があったわけで。今一概にゲームが子供に悪いと言われることに、冒頭の著者が違和感を感じるのもわかるなと思った次第。ゲームには想像力を養うという一面もあるというわけだったりするので。動体視力も養われるのかな?これからのデジタル時代においては感度がよくなるかもしれないよね。自然への反応は下がるかもしれないけど。

思ったより、まとまらなかった(笑)。

いやまぁ、結局のところ、処刑を見たことがある人の話をリアルに聞いたことがある人に話を聞いたら思ったより現実味があってヒヤッとした!という衝撃からの教育上云々というのであれば ゲームより強烈じゃね?と思った、という話なのだけど。

僕たちが子供のときはまだ、見世物小屋がお祭りに来ていた。橋の上には、戦争で身体を痛めた人が空き缶を置いて座っていた。そういうことも、少し思い出した。

時代。

*1:日常使うような道路が整備されていないこともあるかもしれないが。