久しぶりに用あって沖縄に行ってきた。沖縄に行くときは、その目的は何であれ、慰霊の気持ちも込めて向かう。
今日の目次;
改めて
今回は、子供の頃以来となる海軍壕に立ち寄ることにした。
自分が初めて沖縄に来たのは小学校1年生の頃だった。昭和の時代。今から何十年も前になる。耳を覆わないではいられないほどの轟音を立てて戦闘機が何機も頭上を飛んでいったのを覚えている。どこの場所だったか記憶は定かではないのだが、ここだったのではないだろうか。
初めて行った沖縄も慰霊を兼ねた旅行だった。それもあって、観光地としてにぎわう南国の楽園に行くという気持ちではなかった。観光で訪れる機会が増えた今もその気持ちは変わらない。
旧海軍司令部壕
この公園に、旧海軍司令部壕がある。戦時中、この作戦は極秘だったらしく、地元の人には知らされておらず、この場所にも入れなかったそうだ。今回、改めてこの場所や戦争の歴史、地域に残された記憶を、展示された資料から学んだ。
壕の中はとても過酷な労働であったらしい。米軍が、この壕の中にいる兵士をあぶりだすために、火炎放射器を壕に向けている写真もあった。
現場を映した多くの写真が展示されていた。
公式サイトのバーチャルツアーで写真が掲示されている様子が見られますが、詳細は見えません。
折り鶴と祈り
今回、ここを訪れて感じたことがある。前置きが長くなってしまったけど、これを一番書きたかった。改めて、この場所に来て、想像以上に悲惨で過酷な状況だったことを知り、展示された写真の数々を見、その当時、この場所にいた人々、この地域で暮らしていた人々のことを思うと、涙が止まらなかった。
その資料を見た後、壕の中に入っていくのは、少し勇気もいった。ここに入っていいのだろうか。そんな気もしたが、お線香をあげて、手を合わせて、壕に入った。
壕を出てから、折り鶴スペースで鶴を折った。折り鶴を折るのは久しぶりだったが、子供の頃にやったことは意外と覚えているものだった。
鶴を折りながら、ここにきて感じた思いを心の中で話しながら、鶴を折った。
折り鶴の癒し
折り紙は4枚で100円。4つの鶴を折り終えて、ふと顔を上げたとき、悲しくて涙が止まらなかったはずの自分の心が癒されているのを感じた。はっとした。こんな悲しい辛いことがあった場所で、自分は癒されている。本当は、大変な思いをした皆さんの気持ちを癒さないといけないのではないか、それなのに…。
自分の心はとても穏やかになっていた。
とても不思議な感覚だった。
そして、ふと思った。折り鶴に込める思いや祈りと言うのは、癒しの力があるのかもしれないと。こうして、気持ちを寄せることが、癒しになるのではないだろうかと。この地に思いを寄せることが慰霊になるのではないかと。
ここ近年、被災地に折り鶴を送る行為が迷惑なのでは?ということが度々ニュースになる。自分も、鶴を折ることもしないで、そうかもしれないな、と、思っていた。しかし、こうして折り鶴を折ってみると、明らかな心の変化があった。感じることがあった。押し付ける必要はない。でも、もしその場が用意されているなら、受け入れられるなら、この行為は、何かのための力になるかもしれない。
見えないものを見る力とは?
見えないものを見る力、と言うのは、特別な才能を持つ人にだけに見えるものとか、超常現象が起きるとか、超能力が使えるとか、そういうわかりやすい現象を引き起こすことではなくて、こうした、心や気持ちが見えること、感じられること、そういう視点が大事だということなんじゃぁないだろうかと。
たとえ自分の身の回りに超常現象が起きなくても、UFOを呼んで来てくれなくても、スプーンが曲がらなくても、そんなものだけが見えない力じゃない。なにもない日常にこそ、見えない力が大きく働きかけているんじゃないだろうか…。こういうことを大切にしていかなければいけないなと。
おわりに
今回は貴重な経験をさせていただきました。自分にとって大きな気づきでした。偉そうなことを言いたいわけではありません。何をするにも、気持ちを大切にしたいと思ったので書きました。