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浅はかな妄想探訪記

      浅はかな妄想探訪記

美しい鶏

美しい星という小説がありますが、あ、映画も見ました面白かったです。

今日は、美しいについて書いてみます。

美しい

これも十数年前になるのかな。ある山中で鶏を拾った話。

このご時世になって、以前と比べるとインフルのほうは鳴りを潜めているようだけど、鳥インフル…のニュースはやっぱりある。こういうニュースになると、養鶏業者ではなく一般家庭で鶏を飼っている人が山に捨てに来ることがあるらしい。

ある時、そんなことがあるんだよと聞いたその山を車で走っていると、まるまるとした鳥チャンが歩いているのを見つけた。その瞬間、恋に落ちた…かのように一目ぼれ。山鳥のようだったので、なんてかわいこちゃん!この子は誰?なんでこんなところをひょこひょこ歩いているんだ!程よい駐車スペースもあったため、即停車。

車から降りてみると、山鳥ではなく、鶏だった。雌鶏。山鳥かと思ったのは、柄があったから。チャボっぽい柄。でも、サイズは鶏。

あっさり捕まってくれたので、連れて帰ることに。この鶏との生活は3年くらい続いた。

不思議に思ったこと、疑問、謎

この子を観察して驚いたことをいくつか書いてみたい。

本能はどこにしまってあるのか?

まず、家に連れて帰ると家人に叱られると思ったため、ひとまず山小屋で休憩して様子を見ることにしたのだが、この時に、驚いたことがある。この子は、草の穂を嘴でしごいてその実を食べていた。目撃情報によると、山に放置されて1週間くらいは経っていたようだが、人に飼われていた鶏であれば、飼料をもらって生活していたはず。そんな子が急に山に放たれて、1週間程度で草の実を食べることを覚えるのだろうか?本能だよ、というのなら、この小さい脳みそのどこにしまってあるのか?本能とか、賢さとかって、脳みそにだけ入っているのではないのではないか?そんな風に思った次第。

人には見えない何かを察知している

とにかく、なつっこい鶏だった。すぐに名前を憶えて返事をしたし、家の中にいる人を呼びに来たりしてた。しかし、家に入れちゃダメ!絶対!という家人の指示のもと、家の中には入れなかった。そうこうしているうちに、一人遊びを覚え、昼間は好きにうろうろしていた。庭にいるときに、しばらく眺めていると、何もないのに時々「コーっ」と声を発し、緊張したような面持ちをする。自分には何も聞こえないし、何も変わったことはない。空に大きな鳥や飛行機が飛んでいるとかそういうのもない。何を察知して反応しているんだ?!自分にはわからないが、そんなことがよくあった。

スマホを嫌がる

そのころの世の中はスマホ移行期で、ガラケーも健在な時代だった。自分は仕事柄2台持っていて、ガラケースマホにしていた。写真を撮ろうと、ガラケーを向けても嫌がらないのだが、スマホを向けるとごつげに嫌がっていた。カメラのレンズの大きさはさほど変わらないが。スマホだと何がちがうのか?違いが判っているのかと不思議だった。見られているような気がするのか、見られたくないのか。機械の機能というより、その向こうの何かの視線を感じて嫌がっているようにも思えた。

地鶏には登録されていない

当時、農政局に出入りがあったので、この子の写真を見せて、どこかの地鶏ではないだろうか?と、確認をしてみたが、こういう鶏は登録されていないということだった。どこかの誰かが、かけ合わせて飼育していたのだろうか。ネット検索してみると、チャボや鶏もペットとしていろいろ開発(改良?)されて販売されているみたいだ。しかし、この柄の子はやっぱり出てこない。

お別れの時

お別れの日はある日突然訪れた。

その前に、家人に事件が起きた。家に入れてはダメ!絶対!と、それだけは強く主張していた家人であったが、鶏を一番かわいがっていたのは家人だった。その日も、きっと、鶏におやつをあげようと庭に出たに違いない。夕方、家主が家に戻ると、家人が庭にうつ伏せになって倒れていたらしい。連絡を受けて病院に連れて行ったのは自分だが、先生の話によると、危険な状態で、それなりの覚悟も必要な様子だった。その夜は、自分が病院に付き添った。翌朝、付き添いを交代して家に戻ると、庭に鶏のうんちが。昨日中に餌を食べに戻っていたらしい(このころは夜と餌にしか戻らないようになってた)。

いつも世話してくれる人が倒れても、鶏にはなすすべもなく、放ってどこかにいってしまうのか。薄情と鶏に言っても仕方ないが、やるせなす…。などと思っていた、その翌朝、近所の人から、鶏が…!と、連絡が。狸かイタチにやられたらしい。帰らぬ鶏となってしまった。家人が倒れて二日目の朝だった。

その後、入院中の家人は回復し、退院した。身内に話すと、「それは鶏が身代わりになってくれたんだよ!」と、口をそろえて言う。

そうかもしれないな、薄情とか思ってごめん_(_^_)_。

人懐こく、気ままで、とても愛らしい鶏だった。また会えるといいな。なんて思う。

妄想編

以下は、自分の楽しみとして妄想を含めたもの(笑)。

目撃談によると、当初は鶏が何羽か(5~7くらい?)いたらしい。雄鶏、雌鶏、連れだって歩いていたらしいが、徐々に数も減っていったようだった。自分が見かけたのも雌鶏一羽でいるところだったのだが、雌鶏を連れて帰ってから、少し後に、またそのあたりを走っていると、雄鶏が二羽居た。家人が、鶏がいるよ!というので停車したが、雄鶏は、顔立ちが少し強面。そして、雄鶏二羽は何か会話をしているように感じた。どうする?連れて行ってもらう?そんな風に思えた。そして、自分が連れて帰った雌鶏のことを気にしているようにも思えた。

自分としては、どうもなんつーか強面だし…、なんか違和感ある。連れて帰って繁殖・増殖しても…という思いがあったので、そのまま置いて帰った。その後、そこで鶏を見ることはなかった。

デタ!宇宙人説(゚∀゚) !!

そこで思ったのだが、もしかして、この鶏たち、宇宙人だったのでは!(゚∀゚) !!というやつ。その山に、宇宙船に乗った複数人の宇宙人がやってきて降り立った、という妄想からスタート。宇宙人というのは、人の形をしているとは限らない。魂的な存在でやってくるのかもしれない。いろいろ考えるといろいろあるが、とにかく、ある人数でやってきたわけ。

アメリカでは見た目に違和感のある子供が道端で「車に乗せてくれ」とか、玄関先まで来て「家に入れてくれ」という事件があったと聞く。それを思い出した。

宇宙人にはルールがあって、その星の人と関わるためには、その星の人たちによって家に招かれなければならない、というものがあるのではないか。アメリカに降り立った宇宙人は子供の姿なら受け入れられるのではないかと考えたのではないかと。そして、子供になってみたが、意外と気持ち悪がられた…という話だったのではないかと。そして、日本のとある山に降り立ったこの宇宙人たちは、鶏という家畜の姿になってみた。宇宙から渡来したので、そのまんま鶏!というのではなく、見たものや得た知識をいろいろ組み合わせた結果、柄がいろいろミックスになり、居そうで居ない鶏になってしまった。

雌鶏はうまく連れて行ってもらったが、彼女はうまくやっているだろうか?自分が後で見かけた雄鶏は、当初やってきた一団ではなく、改めて地球にやってきた後続班だったのではないだろうか?

そんな風に思った。消えた鶏たちは、地球の生物に食べられたのかもしれないが、身体は乗り物みたいなものなので、死んだわけではないのだろう。

なんてね!

おしまい。

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