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浅はかな妄想探訪記

      浅はかな妄想探訪記

さいきんおもうこと

いやー、もう、せいきまつというとデーモン閣下!って平和な時代は過ぎ去り、世の中まじ世紀末な動向になってきて、もう、どうなっちゃうんだろうって感じなんだけど、そんな中で思ったこと。

聖飢魔II 期間再延長再集結「35++執念の大黒ミサツアー -東京FINAL-」 - 聖飢魔II

今日の目次

まあしかたないにしても

なんだか、アセンションとかいう言葉が流行り始めたたのが、2013年のマヤの予言が出始めた頃だったんじゃないかと思うけど、最近思うのは…

学びの場として

教育の場では人生は学びの場だとか、スピリチュアル的には学びのために生まれてくるとか、そいういうことよく言われる。そうなのだとしたら、こういう物質文明のこれくらいのいわば「環境」っていうのは「学び」のために必要で、ある意味、維持していないといけないんじゃないかと。

そう考えると

だったら、この環境内での学ぶ「魂」がある程度の基準に達してきたときには、リセットしてこの「程度」ってものを維持しないといけないんじゃないかと。だから、ときどき、例えばコヤッキースタジオなんかでも、地球は何度も滅んでるとかそういう動画も見たけど、でも、それ、本当なんじゃないかと。例えば、近いところでは3~5000年くらい前に一度あったのでは?なんて思う。

それで

次元はいくつもあるとか、多次元的に考えれば、アセンションっていうのもある意味ありで、この「環境」で成熟した人はいわば、上昇して、次の「環境」に移ると。これが、物質頭だと、モノと単次元で考えちゃうから意味不明なんだけど、目に見えている日常が何も変わらっていない様子でいながらじわっと分離していくんじゃないか?と、思ったりする。

終活

最近、終活の話題がよく出る。人が亡くなる前に自然と身の回りを片付け始めるという話よく聞く。それは、この先に目に見えていながらはっきりとはわからない分岐点が間もなくやってくることへの準備なのかもしれない。

同級生が妙なこと言った。保険が満期になった。あと10年伸ばそうかと思ったけど、ふと、10年後、自分は生きているのかと思った、と。いま、こんな世紀末な雰囲気だから生死について不安があるからそう思わせたのかもしれないが、σ(゚∀゚ )オレらの年齢で10年後といえば、まだ元気だよー!企業によっちゃー定年じゃないよー!再雇用もありだよー!という年代なのに。どうして?

と、すごく思って。本人至って元気なのに。。。

と、とりあえず、今日思ったこと。

▼この先を考えるうえでずっとお勧めしている一冊▼

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まずは電気を理解して、次は磁気を理解しないといけないのでこのフェーズはまだまだ終わらないはず。