清家新一さんの本は、勉強をしていないσ(゚∀゚ )オレにとってはむずかちい!というか、わからないのだけど、わからないなりに何か頭にしみこんでくるものがあって、前に感想をPOSTしたのだけど、その他にもいろいろと思う事があったんで、その中の一つをまた今回取り出してみようかなと。
今日の目次;
前のPOST
読みながら広がった妄想
まあしつこいけど、子供がいない!って前に書いたけど*1。これは、今のところ、生きてきた中で一番どう向き合ったらいいかわからない事柄だった。自分が育ってきたように、いつかは自分もそうなるのかと思っていたことが、まったくできないということは、本人も周囲もどう対応したらいいのかわからないという。こんなににっちもさっちも致し方無くどうにもそのやり場がないものをどうすればよいのかと。
傾向と風潮
で、同級生でも子供がいない家庭は多いし、結婚率も親世代からしたら圧倒的に低い。最近はもっと増えてるんじゃないだろうか。で、自分は子供がいないことばかりに思いを馳せていたが、子供がいない人が増えたという事は、孫がいない人も増えたという事かと、あるところを拝見していて思った。
そうか。子供子供と言われて辛いオレたちの親世代は、まごまごと言われて辛かったりするのか。というか、もう自分たちもまご誕生世代だから、親はひ孫が居てもいい年代。ようはまあ、子がいないとその先の孫もひ孫もいないわけで、子供がいるとかいないとか、向き合い方が分からないことは「言わない方がいい」とされる風潮強し。多様性とか言ってこういうところは多様化していない。別に普通に聞けばいいし。言えればいいんだろうけど。いる側は聞かなくていい、いない側は言わなくていい、となっている。
で、本題。魂は遺伝と関係ないですよね?
清家新一さんの本を読み進んでいるうちに頭の中がこの子供問題を考え始めた。つか、つまり、子供って、今の物理的な自分たちはDNAとやらでかけ合わせて物体を産み出しているわけだけれども、そもそも、その中に入っているとみんなが証明はできないまでも認識をしている魂ってやつは、DNAで編み出した体(ボデー)とは関係ないはずだなと。
行為で生成するボデー
魂を入れるためにこの体(ボデー)を作っているのだとしたら、この3次元的な物質的な時代が終わったら、この子供いるいない問題って悩む必要もないんじゃないかと。多分、いわゆるオスとメスの交尾をしなくても(←言い方っ)、あ、行為といえばいいか?、をしなくても、子供(というのは適切かどうか不明だけど)は、できるのではないだろうか?と。
ディメンションX(妄想)
今、物質文明というか次元だから、物体にこだわってしまうけれど、この中でなんとかしないといけないからDNAがいるんだけど、そうすると、DNAに固執して俺の子だとかお前の血だとか、自分に近いか遠いかというDNAレベルで大事かどうかを判断していたりするわけだけれども、なんでこういう仕組みかというと、今の次元で繋がりと思っていることとは別の次元からやってくる魂とやらを一から世話しないといけないんだから、自分に近いようにしてないと、大事に育てないからじゃないかと。
そういうわけで(勝手に納得論)
つまり、魂は、どこか別の次元からくるわけなのだし、子供が居なくて寂しいのは、自分のDNAを受け継いだ存在が居ないというのが大きな理由だと思うんだけど、今生で親となり、子を育てる経験ができない、というだけであって、それはほかの人が経験してくれているわけだから、その人生を見て学ぶことはできるはずなんで*2。
この次元で必要なのは相互理解かと?
そう考えれば、人の子も自分の子のように大切にできると思うし。そうすれば、いる/いないの垣根がとれて相互理解できるようになるし、子育てが大変な家庭を助けてあげることもできる。今、この垣根が高すぎて、大変なのは見て分かっても助けてあげることができないんだよね。その逆も然りだと思う。
で、まあ言い方だけど、この物に縛られた次元。K-PAXの宇宙人*3が言っていたDNAという鎖のようなもの*4、まさに鎖なんだけど、そこへの固執をはずしてみたら、いいのかなと。
幼子に涙するわけ
あと、自分の事なんだけど、幼子を見るとよく涙が出てきてたんだけど、自分には子供がいないから、自分に子供がいたらどうだっただろう、と考えるから泣けてくるのかと思っていた。でも、最近、ふと、この涙は違うんじゃないかと。こんな愛おしい存在なのに、どうして粗末にされたのか?と、過去の自分を見ているのではと。子供がいないのが寂しいのではなかったのでは?と。そう思ったらなぜかそうかも、って。
清家さんの本によると
で、清家さんの本には、宇宙人婦人の話が書いてある。これはどちらかのコンタクターに聞いた話という事になろうかと思うのだけれど、その宇宙人婦人がつれている宇宙人は、どうやら想念で作られたものだという。だから、見るたびに少し様子がかわっているのだとか。物質次元において、この想念で作り出した物体(的なもの)は、時間の経過で形が崩れるというか、ちょっと様子が変わってくるみたい。
まあ、そんな話が書いてあったわけよ。で、たしかに、物質世の中にいるからこの仕組みなのであって、子供がいないことを嘆く勿れ、かと。子は天からの授かりものという割に、親のものになってしまい、子からすると親ガチャなんていう言葉もできてしまったり。そもそも、授かってるんだから、預かっているっていうのをすっかり忘れてしまっているのが問題なんじゃないかな。んで、授からなくても学びはある。その分違う事をしないといけないからいないのかもしれないな、と。
おわり。
おおお!おまけ。
で、ちょうどこれをUPしようと思いながら下書きしてたらこれが並んでた。