ハッとしてグッドな場合と、ハッとすると何もなかったことになる場合について考えてみた。
今日の目次;
状況をざっくり二分してみる
はたと気づいた時に起きる現象となくなってしまうものについて、過去のポスト2件(記事中引用2件)から推測してみると…;
- あっ!そっか!と、気づく場合
シン・ゴジラの「(あっ、そうか)冷えてないんだ」と、気づいた時のような、なんでそうなのかわかった!みたいな場面では、意外なことが起きる。自分には、下記のようなことがあった。
モニタービジョン - オカルト波ℙ
- えっ?と、気づいてしまう場合
当たり前にできていることに対して「はっ(そういえば説明できる理由がない・・・)」とか「(指摘されて)えっ?(そういえば説明できる理由がない)」とかなって、これは特殊なことなのか、と、気づいてしまう場合。こういう場合は能力が消えてなくなる。たとえば下記のような🤭
限定予見能力(廃止)wwww - オカルト波ℙ
ここから思うこと
そもそものデータが少ないのはさておき🤭。1のように、あっ!とか、はっ!と気づいた時に、頭の中でその理屈に合点いくと、能力が開けるというか、通常あり得ない現象が起きる。
2の場合、当たり前と思っていたので何の不思議もなかったのだが、気づいた時に説明ができない場合、あれ?となって、能力が消える。
ということは、つまり、少し前に書いた?けど(いや、書いてなかったかも🤭)、オカルトおかしい点について、今現在の社会構造というか文化レベルに合わせた平均的な理解を頭がするように機能していて*1、それ以外のことは、制限がかかるようになっているんじゃないかと。その制御機能の一つが頭にあるんじゃないかと。もしくは古代の壁画なんかにあるらしい「ミステリーバック」とやらに入れてきたものが頭の中に組み込まれててそれが制御してるとか。
だから本来、頭が理解できれば、超能力みたいなことはできるってことではないかと。但しそれが今現在の社会、文化・文明と照らし合わせて説明ができるものでないといけないと。だから、科学ってものが少しずつ紐解かれてそれが一般的知識になるにつれて頭がかけてる制限の限定解除が起きると。
だから多分、今不思議なこととか、時間のこととか、素領域というのかそういうので解明できた暁には、ムーンショット*2みたいな世界観で生きるようになるんだろうね。だから本来、人間というのは、本当は、いろいろできるわけだ。きちんと正しく思う(理解・想像/創造する)ことさえできれば。でもまだ人類が未熟だから、今の段階で全ては行えないようになっていると。
と、妄想して楽しんでいた今日この頃。🤭🔚