オカルト波ℙ

浅はかな妄想探訪記

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一般社会のセカンドキャリアとしてとらえる老後

先日の一件*1で思ったことをつらつら書いていた記。

今日の目次

プロローグ

セカンドキャリアというと、選手生命の短いスポーツ選手のことを思い浮かべる人も多いかと思う。最近話題にもなっている。しかし、寿命が延びたこの時代、一般社会にもセカンドキャリアはある。どのような人が老後のキャリアを築いていけるのか、考えていかないといけない時代になった。

時代の変化に対応できる柔軟性

例えば、今の会社を辞めた後、自分を雇ってくれる企業はあるのか?自分のスキルを欲してくれるニーズはあるのか?

脳の整理ができていない頑固な高齢者は必要とされなくなるのは間違いない。大事なのは、いかに思考を柔軟にしておくかということではなかろうか。これは、今回のことで自分が深く思ったことでもある。

変化していく立場を生き抜く

会社の立場や、今現在の若い立ち位置で横柄な振る舞いや自分勝手な行動・言動がゆるされたとしても、自分自身のエネルギー量が下がってくると、とたんに周囲から受け入れられなくなる。そうした場合に受け入れられる人材でおらんといかんのではなかろうか?

変化に気づくタイミング

周囲の反応が変わってきたと感じるようになった時はもうすでに「なにか」変化が生じている。その際は慌てず現状を見極める必要がある。去る者追わず。視点を変えていく。自分が変わっていく必要がある時。

況や老後に明るいムーンショット

世のなかは長男がいるから安心ね!という時代ではなくなった。嫁だ長男だという優先順位はもうなくなった。嫁だからと虐げられる必要もない。長男だからと押し付けられる必要もないはずだ。

自分たちが老後を過ごしていくためには、自分自身のセカンドキャリアも考えていかなければならない。そういう意味では、MoonShot目標1はオカルト*2ってだけでもないのかもしれない。3次元的な物質エネルギーが低下しても活躍できる社会。

希望を持って生きようじゃーあーりませんか。

老後も自立する覚悟

今までは、子供がいかに親から自立するか、という事を考えてきた。自分も早くから自立しなければと思って生きてきたが、老後が近づいてきて思う。老後が長い時代になった今、子供の有無が老後を左右するのではない。老後も自立して生きる覚悟が必要なんじゃないか。

と、自分に言い聞かせている次第。

おまけ

こういう本もあるらしい(;´∀`)

自立できていることが大事なんだろうな、何で自立するかな、できるかなと思うと、備えないといけないと思うけど、現役でいられるなら世の中の役に立てればいいナと思うので頭を柔らかくしておきたい。σ(゚∀゚ )オレ