さて、四国八十八か所。昭和初期に配布されていた小冊子の写真を入手。少しだけご紹介。
今日の目次:
表紙
表紙には、衛門三郎が弘法大師をえいっと追い返している様子が描かれている。物語もここから始まる。
「通路開祖 御門三郎四行記」「四国霊場・番外第一番・通路開祖・札詰大師堂
巡拝記念 一千百年達忌 昭和九年」のスタンプ。
ちょっとネットで画像検索してみたところ、昭和10年の改訂版がHITしたのだが、こちらは墨一色刷りだった。当時、カラーっていうのはすごいかも?それと、一千百年記念みたいに書いてあるのだが、2014年に1200年記念ってやってたので、ちょっと時期がずれる。ちなみに、2014年の100年前、1914年は大正3年。
後編をはり
後編をはり「昭和五年三月 武藤恵眞 拝記」とあります。
裏表紙
弘法大師と言えば密教。密教の法具のスタンプあり。「三鈷杵」かな?
はしがき
はしがきは2ページあり、大師と四国霊場の由来、なぜ八十八か所なのか、ということが書かれている。
前半跳訳*2:
日本仏教界中、大師という令號を賜った高僧はすでに既に二十名に達しているが、大師様といえば弘法大師空海上人に限られると。また、上人は我が国文化の慈母であり、東亞州*3中の大聖であると。この大師が民衆を救わんと熱血絞られたのが四国霊場であると。
後半要約:
四国霊場の由来を尋ねたところによると
八十八の由来
- 八つの數を十倍して元の八を加えた八十八
- 見惑視惑八十八使の八十八
- 男子四十二、女子三十三、小児十三の厄年を足した八十八
上人の四国霊場開創
天長年間の巡錫は何だったのか?
- 霊地編参の御點検
👆巡拝者が居なかったため👇 - 巡拝者引導のため御巡錫(推測)
本日のテンプ
詳しい歴史については、下記がよろしいかと。
ちなみにこちら、電子書籍で読書中。この本の全部または一部を無断で複製(コピー)天災、配信、送信(ホームページなどへの掲載を含む)を行うことが禁止されているので、何も引用できないでござる。聖なる科学は書評のための短い引用は可だったんだけど(;^ω^)そのような記載もない次第。
歴史と物語
まあ、専門書を読んでみても、四国遍路、八十八か所開創の謎は深いが、これで我々の心が救われるのであれば、いいのかなと。観光とか文化とかいう意味合いでもいいと思われ。
観光か、救済かいろいろあるにせよ、御門三郎の物語は巡拝を広めるための物語であった可能性も大いにある。この物語の中に石手寺や湯築城がでてくるが、年代が合わないという注釈もきちんと書かれている。また、その時代だったから民衆に受け入れられたであろう内容でもある(悪いことをすると天罰が下る、一度悪いことをして改心するとか)。
とある地区のお話
そういう意味でも興味深い地域の口伝。この冊子をお持ちのお年寄りの話によると、弘法大師にまつわる地域の話が2つある。1つは、夏になると川の水が干上がる地区があるのだが、そこは、弘法大師が訪ねて来た時に水を差し上げなかったからだとか。もう一つは、弘法大師は山師だったといっていた年寄りもいたとか。
密教なので、色々な術を使っていたことからそのように見えたのかもしれない。水を差し上げなかったから水が出なくするというのも、天罰が下る、みたいな昔の考え方的なところもあるし。その地区の作り話かもしれない。
本日のあとがき
何が書いてあるか簡単に書いてみようと思ったけど、昔言葉で書かれていたり、専門用語があったりして、人に伝えようと思うと、調べないといけないことって多いな~~と、つくづく感じた次第。
ほんのわずかな紹介ですが、ただ読み流すより、勉強になりました。今後、再読して疑問が出ない限りは、この冊子についてはこれで終りです。時代に合わせた物語って必要なんでしょうね~~*6
おしまい*7
*1: 👇説明参照。
*2:自分なりの訳という意味で超約のパロディです。www.excite.co.jp
*4:結縁とは?
http://cus4.tendaitokyo.jp/wordpress/wp-content/uploads/2012/12/TT-H260301.pdf「結縁」とは、仏さまとご縁を結ぶことを意味します。
*5:着手から九年ののちと書かれているので1年ずれるのだが、書いてある通りに記載
*6:こちらもどうぞ👇
*7:…終わりにしようと水平線をhrで引いたのだが、廃止になるのか~~。